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1月24日はゴールドラッシュの日〜九州金鉱山の金鉱石から金を取り出し指輪を作る! [なんの日調査隊]

今日はなんの日か?その日に因む事柄を調査する「なんの日調査隊」。
1月24日は、

●1985年(昭和60年)1月24日は、スペースシャトル「ディスカバリー」打ち上げ成功
●1972年(昭和47年)1月24日は、元日本兵の横井庄一さんグアムで発見
●1632年1月24日は、二代将軍・徳川秀忠の命日
●1848年1月24日は、ゴールドラッシュの日

といろいろあるが、TOKIOは1848年に注目。この日はアメリカ・カリフォルニア州の川で大量の金が発見された日で、一攫千金を夢見る多くの人たちが世界中から殺到、彼らはそのままそこに住み着き、今や大都市へと発展している。

日本でも昔は金がよく採れた。「黄金の国ジパング」とも言われ、江戸時代金山は200カ所以上あった。しかし1978年には、わずか12カ所に激減。
だが今でも日本一の金山として稼働しているところがある。鹿児島県伊佐市の山奥にある「住友金属鉱山株式会社・菱刈(ひしかり)鉱山」である。ここでは年間約7トン(時価315億円)の金を産出しているという。しかもここは新しい金山。発見されたのが1981年(昭和56年)だという。
城島と松岡はここにお邪魔して、金の採掘を見学することになった。

菱刈鉱山での金の採掘を見学

二人は金山の入り口に立った。トンネルの総延長は100km。
「あんた一昨年走ったよ」と松岡が言うように、城島が24時間テレビで走ったのと同じ距離。
ヘルメット・ゴーグル・防塵マスクなどを装着して、案内の職員とともに車両に乗った。
複雑に入り組んだ道を下っていく車。
「道覚えてるんですか?」迷路のような道なので城島が運転手に訊いたら、覚えてるとのこと。
しばらく進み、地下250m地点で止まった。
「ここからは歩きとなります」
車から降りた松岡は「あったかいですね。暑い」
「鉱山内は1年中、25〜30℃の気温です」と職員が説明。
その理由は、ここが天然温泉だからで、ところどころお湯が湧き出ているところがあった。
さわってみたらすごく熱い。65℃くらいあるとか。
入り口から2km、深さ250m地点に採掘現場があった。
「白い部分が金鉱脈です」
見ると鉱脈は壁状になっており、黒い部分と筋状の白い部分に分かれている。金はマグマに熱せられた地下水の中に存在し、上の岩盤(1億年)の隙間に地下水が入り込み、長い年月(100万年)を経てその隙間部分が金鉱脈となる。(菱刈鉱山の場合)
松岡は近くにあった石を拾ったが、この中にも金は含まれるとの話だった。

すると別の道から恐竜みたいな重機が登場。これで岩盤に穴を開けて金鉱脈を発破するのだという。
重機を操縦する城島も興味津々。複雑なレバー操作が必要な重機だった。
直径3cm、深さ3mの穴をやすやすと穿っていく。これを30ヶ所開けた。
ここに含水爆薬という暴発する危険性が低い爆薬を差し込んで発破する。1つの穴にこれを15本くらい差し込んだ。
作業員全員が鉱山の外に出ないと爆破ができないため、城島、松岡は、2時間ぶりに地上へ出た。
人が入らないように門に扉を閉める係員。爆破は地上の集中制御盤のスイッチで行う。
「1・2・3、はい発破!」とスイッチを押す。「はい完了です」とあっさり終わった。
「全然衝撃を感じないものなんですね」と城島。
「感じちゃダメでしょ」と松岡。
発破は地下の定点カメラで確認できる。

一行は再び採掘現場まで行った。おびただしく石が崩れている。これをさらう重機(ショベルカー)がまたまた横から登場した。一度に4トン浚えるという。爆発した石は約100トン。重機25回分だ。
ショベルカーで浚った石はダンプカーで地上に運び、オートメーションのベルトコンベアで運ばれ、選別室で15名の女性により手で選別される。残すのは金が含まれている白い石で、はじくのは黒い石。黒い石に白いのがくっついてる場合もあるので注意が必要とか。この作業を二人も手伝った。上手だと褒められる城島。松岡は「オレたちDASH島で石の扱い慣れてるから」と。この作業は1日1人10トンは行うという。かなりの重労働だ。

こうして選別された白い石=金鉱石は、製錬の工程に入るわけだが、住友金属独自の製錬技法があって、これは企業秘密なのでテレビでは見せられないとのこと。
「そのかわり、ここにある鉱石の一部を持って行ってかまいませんので」
とのお話なので、約100kgの金鉱石をいただいた。
城島は、これで金の指輪を作りたいと言った。

金鉱石から金を取り出せ!

城島、松岡が金鉱石から金を取り出すために行ったところは、山梨県身延町の「湯之奥金山博物館」。
湯之奥金山は戦国時代、武田信玄の金山として強力な資金源となったところ。
ここに500年前の製錬法を受け継ぐ人がいると聞いて、やってきたのだ。その人とは、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館・学芸員の小松美鈴さん(42)。小松さんは、金のエキスパートとして、戦国時代の技法を今に伝え、子供たちに金の製錬技術を教えている。砂金掘り大会の元世界チャンピオンでもあるとか。

①石を火で焼く:焼くともろくなるので、火にくべる。
②焼いた石を水で急激に冷やしてから、ハンマーで叩く。
③石の台の上で、よく叩いて粒状にする。
④石臼(大きく重いもの)で引いて、粒状の金鉱石を粉にする。
 (石臼を引く要領はそば粉と一緒)
⑤ゆり分けをする:粉を「ゆり板」という道具に入れ、水の中でゆすって選別する。
 金は重いので「ゆり板」の浅く凹んだ底に沈む。
⑥ゆり分けした金を含む粉から不純物を取り除く:
 →粉をフライパンで熱し水分を飛ばす
 →耐火容器の中にこれを入れ、鉛をちぎって入れる
 →電気釜の中に入れる
 →3時間後取り出す(鉛から有害ガスが出るので防じんマスクを着用)
 →この容器の溶けたものを水で冷やした別の容器に注ぐ
 →冷えて固まったら中のものを容器をひっくり返して出す
 →中のそら豆状になった鉛を探す:不純物を叩いて鉛だけを出す
 →鉛は熱すると金とくっつく性質があるので、鉛の中に金がある

この工程を残り90kg分行った。スタッフや博物館員の協力のもと、できた鉛は約600g。

⑦牛の骨を熱して灰にしたものの上に鉛をすべて乗せる
⑧これを電気釜の中へ:金と鉛の溶ける温度の違いを利用する
 (鉛=330℃/金=1064℃)
 →330℃以上で熱すれば鉛は溶けて下の灰の中へ沈み、金だけが残る
⑨電気釜から取り出す→すると鉛が沈んだ後に、小さな丸い金の粒があった!
 →これをひとつひとつ取り出す

金の取り出し成功!!

上記の工程で取り出した金の粒は20粒!
一番大きい粒でも1mmしかない。
しかし取り出しは大成功だ!!

これを一粒にするために、高温のガスバーナーで熱した。
金の粒がひとつに固まった。
重さを量ってみると、0.15g。
1g=4,500円(現在の相場)だから、約700円といったところ。
しかし、値段じゃない。金鉱石から金の取り出しに成功したということに意義があるのだ。

松岡「お金じゃなく気持ちが大変(価値ある)」
城島「これだけ手間がかかるから、高いのがわかるね」
小松さん「昔の人はすべて手作業でしたから、その人たちに金メダルをあげたい」
金の本当の重さを知ったTOKIOだった。

この金で造った指輪を贈る女性とは?

城島には金の指輪を贈りたい女性がいた。
城島は川崎の「ジュエリーくぼた」という指輪職人の元へ。
「量がこれだと糸みたいになっちゃいます」と久保田さん。
そこで久保田さんはシルバーのリングの上に金を乗せる方法を提案。
城島は自らそれを造る。銀ロウを接着剤にして今回取り出した金を指輪の上に乗せるのだ。
バーナーで熱し金を乗せた。シルバーリングは焼けて黒くなっているので、これを磨く。
すると、きれいな指輪が完成した!

城島が贈りたい女性とは、福島DASH村の三瓶孝子さんだ。
DASH村では漬物などの指導をし、ロケの時にはいつもみんなのお昼ご飯を作ってくれた。
この1月31日が79歳の誕生日。
DASH村スタッフの山口くんが孝子さんにこの指輪を渡した。
中指にぴったりの指輪をはめて喜ぶ孝子さんでした。


2016年1月24日夜7時・日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!」より

【ザ!鉄腕!DASH!公式HP】http://www.ntv.co.jp/dash/



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