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「たけしのニッポンのミカタ」にTOKIO5人勢揃いで都内のウラへ たけしのルーツも訪問 [テレビ]

TOKIOの知らない東京のウラ潜入ツアー

2014年10月30日テレビ東京系放送の「たけしのニッポンのミカタ・2時間スペシャル」に、レギュラーMCの国分太一をはじめとするTOKIOの5人が勢揃いしました。
ビートたけしとの共演は何と15年ぶりのTOKIO。全員がたけしファンとあって、たけしと一緒のこの日の都内巡りは格段と楽しいものになりました。
たけしのルーツである浅草フランス座(現・東洋館)では、下積み時代の苦労をしのび、たけし行きつけの居酒屋で盛り上がるなど、「鉄腕DASH」や「TOKIOカケル」とはひと味違うオールロケ企画をダイジェストで紹介します。

都心の巨大施設「迎賓館」のナゾ

東京・四谷駅にほど近いところにある「迎賓館」とは、どういう施設なのか?
正門から220mもある石畳を歩いてたどり着いたのは、ネオバロック様式の建物「迎賓館」。
迎賓館は、「来日した国賓や公賓の居所として利用され、宿泊・食事・会合の場が提供される」
(番組説明による)
敷地面積は11万7千㎡で、東京ドーム2.5個分にあたる広さだ。設立は1974(昭和49)年。
建物自体は1909(明治42)年に造られた東宮御所を改装したものとのこと。
国賓以外は正面玄関から入れないので、たけしとTOKIOは脇の通用口から中に入った。
ここで全員、土足禁止のためポリ製の靴カバーを靴にはめて館内を歩くことに。
国分「オバマ大統領もこのカバーつけたんですか?」
館員「さすがに国賓ですのでつけません」
入り込むと、レッドカーペットと大理石の壁、シャンデリアなどに驚く。
大広間の「朝日の間」に案内される。ここでは表敬訪問や首脳会談などが行われる。
18世紀末のフランス様式だ。椅子は豪華で天皇陛下が座られるもの。
床には紫の糸を47種類使用した段通(カーペット)が敷かれている。
たけし「ヨーロッパでは紫が一番高貴な色」
他にも「東の間」といって、スペイン・ムーリッシュ様式の部屋や
「羽衣の間」といって館内最大の部屋(2014年4月、オバマ大統領来日の際日米首脳会談が行われた)に案内された。
「羽衣の間」は元々は舞踏室として設計されたもので黄金の装飾がまばゆいくらいだ。
「花鳥の間」は、日米共同記者会見が行われた部屋。その場へ山口と長瀬が立って記者会見ごっこ。
壁に飾られているのは、明治の超絶技巧作家・濤川惣助(なみかわそうすけ)の「七宝花鳥図三十額」で、この作品から部屋の名がつけられたか。
次に厨房は入れないが、テレビ初となる配膳室に入ることに。
ここは大食堂としてつくられた「花鳥の間」に隣接している。
専属の料理人やウエイターはいないので行事の際にホテルから派遣されるという。
たけし「食べもの一つ出すにも相手が相手だけに大変な重圧がかかるんだろうね」
山口はドリンクバーを見つけ「おかわり無料ですよ」とおどける。

建物から外に出た6人は、普段出してない噴水から特別に水を出して記念撮影。
国分「G8とはいかないですが、T6(たけし+TOKIO)で」サミット風に撮影。
さらにコマネチポーズで撮影して、迎賓館を後にした。

※迎賓館「前庭公園」は11月8日〜10日まで見学できます。事前申し込み不要。ただし建物内の見学はできません。

特別チャーターバス「コマネチ観光」

迎賓館駐車場に待っていたのは、今回のツアーのためにチャーターした「コマネチ観光」バス。
レトロなボンネットバスだ。これに乗って都内ウラ場所へGO!
バスが走っていると、たけしが「オレが事故ったとこはそこだよ」とまさかの現場通過。
バイク事故を起こした、安鎮坂だ。
「慶応病院に近いのに搬送されたのは東京医科大学病院だった」と語るたけし。

車内ではたけしの20代の頃の話に。
「大学紛争でキャンパスは封鎖されてたから大学内に入れない。そこで浅草へ行ったら、ストリップ劇場=フランス座があって、そこに座員募集って書いてあった。調べてみたら萩本欽一さんや三波伸介さんを輩出してるところなんだ。で、そこでエレベーター係として働き始めた」
TOKIO全員感心のてい。
「そこに先輩として、きよしさんがいたんだ」
「へー!きよしさん先輩なんですか」
「そしたら、おいたけし、お前は芸が乱れているって」(笑)
「なに言ってんだ、ばかやろって、言ってやりましたよ」
一同さらに感心。
「あれも運だろうね。オレきよしさんに会ってなければ売れてないと思う」
「お互いにオレがオレがだったら解散してた」
※ツービート成功の理由:きよしはたけしを信頼し、笑いに関して全面的に任せていた。
「だから横山やすしさんて天才って言われるけど、7回コンビ替えてんだからね。西川きよしがいなければ「天才・横山やすし」は生まれなかったんだ」
長瀬「たけしさんはどの時代が一番好きですか?」
「そうだなあ、戦場のメリークリスマス(1983)の頃、デビッド・ボウイの共演者として南の島行ったり、知らないことばかりだったから今より面白かったな」
国分「落語をやってみたり、原点に帰ろうという考えがあるんですか?」
「落語は好きなんだけど、1本完全にやれるネタがないんで、どうせやるなら難しいヤツやってやろうと、車の中でそれ聞いてんだけど…」
松岡「年末年始に鶴瓶師匠に落語やるって言ったけど、本当にやるのかなたけしみたいな」
国分「カメラ回ってないとき、たけしさんは落語をしゃべってた」

何でも揃うダイシン百貨店

都内指折りの商業地区・大森。ここに地域密着型デパート「ダイシン百貨店」がある。
たけしとTOKIOの来店を歓迎して、屋上には「たけバルーン」があがる。
庶民の街の超ユニーク百貨店へ乗り込む一行を出迎えたのは、西山社長以下、社員の方々。
倒産寸前だった同店を立て直した経営手腕は注目の的だ。
たけしは「一日店長」としてハッピを着せられた。TOKIOも「見習社員」としてハッピを。
国分「店が広いので3組に分かれて回りましょう」
たけし「ここには年に1個しか売れないものまである。それが楽しみ」
国分「何か面白いもの、絶滅寸前の珍しい商品を探して持ってきてください」

城島・長瀬組は、お母さんたちの声援を浴びながら、生活雑貨コーナーへ。
【見つけた珍しいもの】
●食卓カバー:ちゃぶ台の上にかぶせる虫除け。最盛期には年間400万個も売れた。ここでは昨年51個売れた。
●かつお節削り器:昭和35年発売。かつお節パックが登場するまでは家庭の必需品。かつお節は乾物コーナーに置いてあった。
●歯磨スモカ:大正14年発売の缶入り歯磨き粉。
●丹頂チック:1933(昭和8)年発売。昨年67個売上。
●ネズミ捕り器:製造元では年間1万個を生産。ダイシンでは昨年37個の売上。
●牛乳ビンのふたあけ:今年まだ1本も売れてない。これが「なつかしグッズNO.1」に!

山口・松岡組は、家庭用品コーナーへ。
【見つけた珍しいもの】
●布団たたき
●湯たんぽ:メーカーのマルカでは年間10万個を製造。
●洗濯板:昨年売り上げ30個。
●和式トイレカバー:製造元では年3日だけ3000個の生産。昨年2個売り上げた。
●あせ知らず(天瓜粉):メーカーでは年3万個製造。
●ホテルのキーホルダー:長いプラ製の棒付きのもの。かなりレアと松岡一押し。

たけし・国分組は、インテリア用品コーナーへ。
●手織りペルシャ絨毯:125万円、500万円のものが平気で置いてある。客の要望があれば1品でも置くというのがダイシンの方針だ。

こうして、たけし、国分、城島、長瀬はしばし休憩。
屋上には広場があり、その傍らに足湯が。ここで足湯に浸かりながらかつカレー、ラーメンを食べる。

たけしの原点をたどる

たけしのお父さん(菊次郎さん)は東京タワーのペンキ塗りを手がけたという。
東京タワーができた56年前に鉄骨のペンキ塗りをした一人なのだ。
山口・松岡が企てて、そのペンキ塗りをたけしにもさせようと、ダイシンで刷毛を買って待っていた。
タワー中腹の140m地点の骨にたけしが赤いペンキを塗った。親子2代にわたるペンキ塗りという赤い絆。

ルーツ浅草の東洋館へ

東洋館の全身は昭和26年開業のストリップ劇場「フランス座」だ。
東洋館のウインドには出身の芸人たちの写真が飾られている。
北野武の隣にあるのは、たけしの師匠、深見千三郎。
その他渥美清、関啓六、萩本欽一、坂上二郎、三波伸介など錚々たる顔ぶれも。
東洋館の構造はほぼ昔のまま。現在は漫才・コント・マジックなどを連日上演。
ここでたけしはエレベーターボーイを務めていた。
エレベーターの前で、空き時間にタップの練習に励んだという。
客席数わずか200余り。小さなステージに何人もの踊り子たちがあがり、華やかなショーを演じていた。
当時たけしは舞台進行役も担当していたたけし。こここそ、彼の芸人としての原点なのである。
「入浴ショーの時、オレは進行係だったんでお湯を入れるんだけど、時間がない時熱湯を入れたりして、踊り子さんは、あれーって」
「それが熱湯風呂の始まりだったんですね」
次に楽屋へ。と、そこに本日出演予定のトリオ芸人「わが家」がいた。
「楽屋で寝ると翌朝来た踊り子に怒られるんだ」
さらに奥へ進むと、たけしが寝泊まりしていた場所が。
そこは4帖ほどの物置部屋だ。
「大学をドロップアウトして行き場のないくらし。窓すらない部屋に寝泊まりしながら、若き日の天才は何を思っていたのか?」(番組ナレーション)
フランス座でのお気に入りの場所は、屋上だ。そこからは浅草寺五重塔や六区の灯が見えた。
「ここで漫才の練習をしたんだ」
「こういう想い出の場所が残ってるのは素敵ですね」
こうしてたけしはツービートを結成し、スターへの階段をかけ登っていったのだ。

「煮込みしかないくじら屋で」

続いて一行は、浅草の街へ。街中から声がかかると国分は、
「いい街だな。フレンドリーな街だよ、浅草は」と感動する。
たどり着いたのは一軒の居酒屋「捕鯨船」。たけし行きつけの店だ。
芸人たちの拠り所としていろんな夢が語られてきた場所。
たけし作詞・作曲の曲にもその名が歌われている。
「お前と会った仲見世の 煮込みしかないくじら屋で 夢を語ったチューハイの…」
店主は元浅草芸人の河野さん(68)。
みんなで酎ハイで乾杯。
「相変わらず浅草の芸人タダにしてるんだって?」とたけしが店主に。
「そうなんだ。オレが預かってるんだ」と店主。
国分「ここは芸人さんの飲食代はたけしさんが持ってるんですって」
自分を育ててくれた浅草への恩返しからそうしているようだ。
たけしは師・深見千三郎の「笑われるんじゃなく笑わせる」という思いでや、下積み時代の苦労などをTOKIOに語る。
山口は「自分のルーツになる場所があるというのは羨ましい。20年経って教えてくれる先輩が少なくなってきた。その中で変わらず教えてくれる人はかけがえのない存在です。勉強になりました」とたけしに感謝。
たけしは最後に「あまり比較する必要はない。その時代にすごいのが一番なんだ。TOKIOは自分たちの時代と信じて漕いで行け」とエールを送って、今回のツアーは終了した。



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