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TOKIOが開拓に挑む無人島=DASH島〜舟屋完成までの軌跡〜城島男泣きのエピソードも [DASH島]

それはトロッコ用のレール敷きから始まった

2012年の夏にDASH島へ初上陸を果たしたTOKIOの面々は、無人島開拓の手始めに「舟屋」の建築に着手しました。
そのためには島内の資材を運ぶトロッコのレール作りから始めることとなりました。
手漕ぎトロッコとレールと枕木は、長瀬が黒部へ行って調達しました。
そして全長500mのレールが完成したのは2013年の1月のことでした。

次に、基地となる舟屋の土台として「野面積み」という方法で石垣を築くことになりました。
それには集落跡の石垣の石、約300個が必要。
まずは、完成したばかりの線路を使い、500mの距離をトロッコで運搬。
2013年5月、様々な困難に直面しながらも、作業開始から4ヶ月半、ついに基地の土台となる石垣が完成しました。

その上に建つ、舟屋の柱や壁は、島にある廃屋などの木材を再利用したいと、島中に点在する廃屋から、使えそうな木材を一本一本選び出した。
だが、ここでも運搬の壁…舟で木材を牽引しようにも冬の波が荒くて断念。
予想もつかない課題が、次々と立ちはだかります。

そこで山口は、「一級小型船舶免許」の取得までして、京都伊根から自ら台船の舵を取り、足りない木材を島へ運びました。
クレーン・城島との連携作業で、貴重な材木を島に運び込むことができたのです。
今度はその材木を、4日かけてトロッコで入り江まで移動させ、基地となる舟屋の骨組みとして、組み立てる作業を開始しました。

DASH村で培った古民家移築の経験はありましたが、長さも太さもバラバラの材木で組み上げていくのは大変な作業でした。
また、長柱とする材木が足りないときは、伝統の継ぎ手“金輪継ぎ"によって短い材木を継ぎ足しました。
最後に土台に柱を立ち上げる作業は、総勢14名の男たちが力を合わせました。

しかし、島に吹き荒れた嵐によって、せっかくの骨組みは破壊されてしまったのです。

嵐で壊れた舟屋の柱の再建〜屋根葺き

2013年6月、軟弱だった舟屋の柱を再建するため、島に運び入れたのは“丸太足場"の資材です。
これは、立てた柱を強く支えるだけでなく、骨組みを建てる際も作業がはかどる利点があります。
そこでさっそく舟屋片側の足場を組み上げました。

2013年7月、強い柱を実現するため、休みなく作業を続けていた舟屋の足場が組み上がりました。
立てた柱を足場にしっかり固定すれば、一度倒壊した柱の再生です。

2013年8月、島の廃屋で眠っていた材木を、半間(まなか)という補強用の柱に加工し、土台に1本1本挿し立てていく作業を行いました。
立てた半間の上には、桁(けた)という柱を横へ渡し、さらに梁(はり)で桁と骨組みを繋ぎます。
これをプロの指導をあおぎながらも、TOKIOがこなしていくのですから驚きです。
こうして1階天井の一部(2階部分でもある)が完成。

2013年9月、骨組み作業は最終段階を迎えました。
1階から2階部分に続く支柱に、補強の半間、柱間の桁、床や屋根などの荷重を支える梁を組み上げ、舟屋の骨格が徐々に形となってきました。
最後に、屋根の頂点を支える棟木(むなぎ)を取り付けて、すべての骨組みが完成。
無事に棟上げとなったことを感謝し、ささやかな「上棟式」も行いました。

2013年10月、屋根の骨組みとなる垂木に、野地板を打ち付け、3日がかりで仕上げました。
屋根葺きは、土の粘着力で瓦を固定する“土葺き"で、約2トンの土と1000枚の瓦が必要です。
そのために必要な粘土質の土を、手分けして島から採取しました。
2013年11月、これらの運搬にはトロッコと舟を使い、舟屋の港跡まで運んだのです。

2013年12月、いよいよ瓦葺き作業開始です。
土を置き、その上に1枚瓦を載せるという地道な作業の繰り返し。
こうした中、城島は、舟屋にも厄除けが必要だと思い立ち、その道の匠の元でひとり舟屋の屋根に据える“鬼瓦"を製作することに。それは、メンバー一人一人の顔を模した、5体の鬼瓦でした。

2014年3月、ついに舟屋完成

2014年1月、瓦葺き作業は屋根の一番上、棟瓦を残すのみ。
“のし瓦"という瓦を積んだ上に、カマボコ状の“冠瓦(かんむりがわら)"を葺いていきます。
そして、メンバーの顔を模した鬼瓦を設置すれば、ついに屋根の完成です。

2014年2月、舟屋の壁板張りは、漂着物の板材で、住居となる2階部分から開始。
張り方は、山口の提案で、「鎧張(よろいば)り」となりました。
まさに甲冑のように板材を重ねて張ることで、雨風に強い壁となる。
TOKIO、スタッフが一丸となり、数日かけて、2階の壁を完成させました。

2014年3月、山口は、愛知県にある貯木場の港から放置されていた巨大な丸太を頂きました。
これで2階の床を作るのです。
こうして床板張りに精を出したのですが、城島は階段の設置を忘れてしまいました。
急きょ、1階船着き場の奥から、ハシゴで2階へ上がれる出入り口を確保。

がっくりきた城島の失敗を責めず、労いの言葉をかけた松岡の優しさに、城島が涙を浮かべるという一幕もあり、これは語りぐさとなりました。
なお過日、松岡、国分が島を訪れた時、松岡の発案で舟屋を「山城」と名付け、表札を掲げました。
しかし、この表札の城の文字には「、」がなく、あとで城島が貝で点をつけたのも語りぐさの一つです。

さあ、あとは、舟屋に欠かせない、入口の下屋(げや)を支える“方杖(ほうづえ)"。
雨戸は、ガラス窓から光が差し込む、突き出し窓にしました。

これでついに完成です!

これまで1年半、数えきれない試練や困難を乗り越え、ついについに、舟屋が完成となりました。

TOKIOのみなさん、スタッフ、指導のプロたち、ご苦労様でした。

【参考資料:DASH島公式HP】
 http://http://www.ntv.co.jp/dash/contents/island/index.html


タグ:DASH島 舟屋
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